はじめまして このブログの管理人の遊之介です。
この度は「ゆうブロ」に訪問していただき、ありがとうございます。
このプロフィールを通じ、あなたにお伝えしたいことを記載します。
- 公務員から民間企業への転職
- 副業
- ITを活用した業務効率化
公務員から民間企業への転職情報
2009年から2020年の11年間、人口数万人の田舎町で消防士をしていました。
しかし、34歳の時に転職を決意しました。
現在はIT企業で業務効率化の仕事に携わっています。
「IT分野での実務経験なし」「元公務員」「34歳」という不利な条件しかありませんでした。
想像通り転職活動は難航しましたが、34社目で採用されました。
私の経験や転職活動で学んだ事が、転職を迷われているあなたのお役に立てればと思っています。
(転職理由の詳細はプロフィールに記載しています。少し長いため、ご興味がある方は読んでみられてください)
副業に関する情報
消防士時代から現在にかけて様々な副業に取り組んでいます。取り組んだ副業は以下の通りです。
Amazonせどり | 最高月商90万、月利25万 |
不用品販売 | メルカリ総取引数150 ヤフオク総取引数140 |
ココナラでのスキル販売 | 総取引数25件 |
講師活動のお手伝い | ボランティアなので、副業というよりは趣味寄りの位置づけです。 |
投資信託 | 投資するお金が大してなかったので、1年も経たずに辞めてしまいました。 |
ブログサイト運営 | 現在取組み中 |
副業での実践的なテクニック、制度、税金の話、よもやま話などを発信していきます。
ITを活用した業務効率化の情報
現在はエンジニアとしてITを活用した業務改善の仕事をしています。
実務で使用している技術、実際に起こった問題や対処法などご紹介します。
職歴
自衛隊 | (2004 ~ 2006) |
フリーター | (2006 ~ 2009) |
消防士 | (2009 ~ 2020) |
RPAエンジニア | (2020 ~ ) |
自衛隊時代
人の役に立ちたい!という思いで18歳の時に自衛隊に入りました。
しかし、私は全くついていけませんでした。
体力的には問題なかったのですが、組織に合わせて働くことが絶望的に不向きなタイプというのを、自衛隊に入ったあとに気が付きました。
そして自分の職能力が思っている以上に低かったのも、ついていけない原因の一つだったと思います。
- 仕事を覚えれない
- 上司が思っていることと真逆なことをしてしまう
- 組織で働くうえで必要な「空気」が読めない
- それでいてなぜか頑固なところがある
新人としては最凶ですね(*_*;
ある日、いつものように上司や先輩からの指導(いじめ?)があり、それに少し抵抗したせいで、その日からアタリが一層強くなりました。
あまりにもきついため、ストレスから顔じゅう吹き出ものだらけとなり、目の病気も患ってしまい、入院することとなりました。
退院後は別の所属に異動となりました。
ただ、異動先にはすでに「わがままなやつが来る」という話が行っており、冷たい上にアタリもきつい、まさに生き地獄でした。
その中でも少しずつではありますが、仕事や環境にも慣れていき、仲間も増えていきました。
それでも怒られることは人一倍多く、よい仕事はまかせてもらえず、どうでもいい仕事ばかりを振られてました。
人の役に立ちたい、という志で入った職場だったのに、気づけば毎日辞めることを考えており、気持ちは完全に外に出ていってしまってました。
「頑張れ!せっかく入った自衛隊だぞ」「自衛隊すら通用しないお前になにができる?」と自分の中で日々葛藤していましたが、悩んだ末に20歳の時に辞めることとなりました。
今更ながら、序盤に普通の水準で仕事ができていれば、こんなことにはならなかったのでは、と思います。
フリーター時代
- 東南アジアにバックパッカー(2か月)
- ルート営業(半年)
- 飲食店のホール担当(半年)
- 格闘技(週6で通う)
- 福祉施設の臨時職員(1年)
- ガソリンスタンド(1年)
- 公務員予備校(夜間の部に1年)
消防士時代
フリーター時代は楽しかったですが、やはり「人の役に立ちたい」という思いが根底にありました。
一念発起し、アルバイトをしながら予備校の夜間部に通い、念願叶って消防士になれました。
しかし、自分の思いとは裏腹に、最初の5年程度は集団生活の苦手さやスキルの不足もあり、同期からはかなり遅れを取ってました。
当然周りからは「できないやつ」「仕事を任せられない」と思われていました。
自分なりにはかなり努力し、追い付こうとしましたが、逆に空回りしてしまい、悪循環となっていきました。
あの当時は毎日のように「辞めたい」「でも辞めれない」を繰り返していました。
仕事と日々のストレスで体が段々と疲弊していき、ある日、突発的に首のヘルニアを発症し入院することとなりました。
これでは自衛隊時代と同じ道を歩むことになると思い、自分の勝てる道を探し始めました。
復帰後は現場勤務から離れ、興味のある予防広報の部署への異動となりました。
また、今までは上司に恵まれませんでしたが、初めて素晴らしい上司にも巡り合えました。
(この方とは今でも時々連絡を取っています)
その上司は他消防から2年間限定で、私の所属していた組織の予防スキル向上のため出向してきた、いわばバリバリの人です。
私の過去を知らないこともあってか、フラットに私と向き合ってくれました。
そして今の部署での仕事のイロハ、専門知識、組織人としての組織の渡り方、交渉術、ありとあらゆることを教えてくれました。
実際かなり厳しい人で有名でした。それでも食らいついて吸収していきました。
そこからは自分でも驚くほど物事がうまく回りだしました。
あれほど「ダメなやつ」と言われていたのに、知識をスルスルと吸収していき、アウトプットは自然に出来ていました。
小さな組織の中ではありますが、予防の分野では一番になれたと自負してます。
そして最終的にはその上司からの強烈な推薦もあり、消防内での階級も上げさせてもらえました。
それ以外にも、前例踏襲のイベントに変化をつけて参加者を増やすことに成功したり、
部署内での業務改善で作業効率を高めたりと、
組織の中で好きな事ができつつある立場になってきました。
ただし、昔の私を知っている上司は「できないヤツ」のイメージが強かったせいもあり、「あの部署では確かにやっているけど、アイツだから」という目はある程度残っていました。
余裕ができて、ふと周りを見渡すと、管理職の上司は目が死んでいて、活力が失せていました。
事実、内部(幹部の顔色、職場の空気)ばかりを気にして仕事をしていたように思えました。
それに、必要なスキルが身に付いたら、あとはそれを定年まで維持していく、というのも消防の仕事の特徴だと思います。
この職場で一生働くのか?という気持ちが強くなり、また辞めることを本気で考えだしました。
ただ、昔の自分と比べても自信が付いていたため、最終的には「自分の興味のある仕事をしよう。民間企業に行っても大丈夫!もう昔の自分じゃない!」と思い退職に踏み切りました。
RPAエンジニア
異業種、未経験のIT分野への転職活動は難航したましたが、最終的に34社目で内定をもらうことができました。
未経験なためスキル面には不安がありましたが、毎日の勉強や実務で磨かれ、現在は楽しく仕事をしています。
元公務員は使えない・・と言われたことは今までで一度もありません。
手前みそですが、ほかの社員から仕事ぶりを褒められることも何度かありました。
間接的にも消防で培った事は役に立っていると思います。
今後の展望
現在はブログを開設し、情報発信を少しづつですが始めています。
ブログに慣れたら、次は何の副業をしようか、と色々考えています。
忙しい毎日ですが、消防時代にはない充実感です。
安定した未来が見えないからこそ、自分で作り出せることが楽しくてしょうがありません。
人の役に立ちたい、という思いで仕事を選んできても、ことごとく打ちのめされてきました。
絶望感ばかりで、くすぶっていた若い頃の自分に会えれば「今は闇の中かもしれないけど、その先にはいいことがあるぞ。だからそれまでは踏みとどまれ!投げ出さずに頑張れ!」とアドバイスしてあげたいです。